1. 誰にも言えなかった「はじめての異変」
ある日突然、それはやってきた。
ムラムラはしているのに、身体が反応しない。
それまでは普通だった。疲れていても、酔っていても、気持ちが高まれば自然と反応していたのに──
その日は、何も起きなかった。
「あれ?なんでだ?」
最初はただの疲れかと思った。
でも、その夜から、心に小さな不安が住みつくようになった。
パートナーに言えなかった。
友人にも、誰にも、もちろん家族にも。
この手の悩みは、なぜこんなにも“言いづらい”んだろう。
誰にも言えず、気づけばネット検索だけが頼りになっていた。
2. 「ED」と検索したけれど…勇気が出なかった日々
最初に検索した言葉は「勃たない 理由」。
すぐに目に入ったのは「ED」という単語だった。
でも、その瞬間に思ったのは、「まさか自分がEDなんて…」という拒否感だった。
まだ30代後半だ。
まだ若いと言ってもいい年齢。
まさか、自分がそうなるなんて。
検索結果には「バイアグラ」「病院」「泌尿器科」といった言葉が並び、ますます怖くなった。
結局、僕は“検索だけして、何も行動できない人間”になった。
日常は変わらず進んでいく。仕事も家庭も。
でも、心のどこかでずっと、「自分は壊れかけているんじゃないか」という思いが残っていた。
3. もっと早く知りたかった言葉、「心因性ED」
あるとき、検索していて偶然出会った言葉があった。
「心因性ED」
“心の問題が原因で、身体が反応しなくなる”。
それを読んだとき、胸がズキンと痛んだ。
思い当たる節が多すぎた。
仕事のストレス。家庭でのプレッシャー。将来の不安。
「立たない」のは、決して男としての終わりじゃない。
むしろ、“ちゃんと感じている証拠”なのかもしれない。
この言葉に出会ったとき、僕は初めて「これは誰にでも起こりうることなんだ」と思えた。
それと同時に、こんな気持ちが湧いてきた。
「もし、あの時の自分にこの言葉を届けられたら──」
4. 「自分だけじゃない」と知ることの安心感
心因性EDという言葉を知ってから、改めてSNSやブログを検索してみた。
すると、驚くほど多くの男性が、同じような悩みを抱えていることが分かった。
「性欲はあるのに反応しない」「パートナーに言えずに悩んでる」「病院に行く勇気が出ない」──
まるで過去の自分を代弁するような言葉が、画面の中にいくつもあった。
その時、ようやく深く実感できた。
「あ、自分だけじゃなかったんだ」
それは、医者の診断よりも、薬の効果よりも、何より心強い“安心感”だった。
悩んでいるのは、自分だけじゃない。
むしろ、黙っているだけで、誰にも言えずに抱えている人がたくさんいる。
その事実が、僕の孤独を少しだけ溶かしてくれた。
5. 僕に足りなかったのは“情報”より“共感”だった
世の中には、EDに関する情報は山ほどある。
専門的な医療サイト、治療法、サプリ、口コミ──
でも、そのどれもが僕には“届かなかった”。
なぜなら、僕が本当に欲しかったのは「共感」だったから。
「わかるよ」「俺もそうだった」
そんな一言が、欲しかった。
自分の情けなさや、不安や、焦りを、否定せずに受け止めてくれる場所。
そして、そこから少しでも前を向けるような言葉。
情報だけでは、人の心は救えない。
必要なのは、“心が動くリアルな言葉”なんだと、僕はそのとき強く思った。
6. このブログは、過去の自分に向けて書いている
だから、僕はこのブログを始めた。
誰かのため、というより、「過去の自分」に向けて書いている。
性欲はあるのに、どうしても勃たない。
パートナーを悲しませたくないけど、どうしても応えられない。
そんな自分を責めて、男としての自信を失いかけていた頃の“あの僕”に、今の僕ができること。
それは、「大丈夫だよ」「ひとりじゃないよ」と伝えてあげることだった。
このブログに書く体験談は、すべて僕が通ってきた道。
カッコ悪いことも、弱さも、恥ずかしさも、全部さらけ出して書いている。
なぜなら、そこにこそ、本当に誰かとつながれる“力”があると信じているからだ。
7. 「性の悩み」は、強さや男らしさの否定ではない
僕自身、この悩みを抱えたとき、一番怖かったのは「もう男じゃないのかもしれない」という感覚だった。
社会の中では、“性”はタブー視されやすい。
ましてや、“性に関する悩み”となると、さらに口にしづらくなる。
でも、今ははっきりと言える。
性に悩むことは、男らしさを失うことじゃない。
むしろ、自分の弱さや心の揺らぎと向き合うことができる人こそ、本当に“成熟した男性”なんだと思う。
「うまくいかない時がある」
「自信を失うこともある」
「心の余裕がなくなってるかもしれない」
そうした正直な気持ちを、自分自身が認めてあげること。
それが、また前に進む力になる。
8. 読んでくれたあなたへ──あなたの痛みは、誰かとつながっている
もし、この記事を読んでくれているあなたが、今まさに同じような悩みを抱えているのだとしたら──
どうか、自分を責めないでください。
悩むのは自然なことだし、そこには理由がある。
あなたが“感じている”からこそ、起きていることなんです。
痛みや違和感は、誰かとつながる“扉”になる。
僕は、自分の悩みを言葉にしたことで、同じように悩む誰かとつながることができました。
そしてそのつながりが、少しずつ自信や安心感を取り戻す力になった。
あなたの痛みも、必ず誰かとつながっています。
だからこのブログが、ほんの少しでも心に触れることができたなら、それ以上の喜びはありません。
9. まとめ:「ひとりにしない」ブログでありたい
僕がこのブログを続ける理由、それはたったひとつ。
「ひとりにしない」こと。
性の悩みは、孤独になりやすい。
でも、どんなに小さな一歩でも、それを誰かと共有できたら、孤独は和らいでいく。
僕もそうでした。
たった一行のブログ、一言の共感で、救われた夜がありました。
だから、今度は僕が届けたい。
このブログが、あなたにとって
「悩んでもいいんだ」
「話してもいいんだ」
そう思える場所になれたら、僕はそれだけで十分です。
あなたの歩幅で、ゆっくりでいい。
一緒に前に進んでいきましょう。